
1923年東京都生まれ。女子栄養学園(現・女子栄養大学)を卒業。55年に主婦の友社入社、料理記者として活躍。68年に女子栄養大学出版部に移り、『栄養と料理』の編集長を10年間務める。現在、料理研究家として、料理、栄養に関する書籍や雑誌の企画・編集に携わる一方、テレビや講演など多方面で活躍中。『岸朝子のおいしいお取り寄せ』(文化出版局)、『美味しんぼ食談』(雁屋哲氏との共著遊幻舎)など著書多数。
1960年(昭和35年)というのは、米の生産量と消費量が並んだ食生活史でも重要な年。当時の食卓には、白いご飯が食べられるという幸せがありましたね。食卓に並ぶのは、炊きたてのご飯とおみそ汁、漬物に豆や佃煮などの常備菜という組み合わせ。卵や肉はまだ贅沢品で、豚こま切れやひき肉、鳥肉などのおかずも入ってきましたが、主菜の中心は魚や野菜、豆腐の料理でした。今では高級品の鯨も、給食などによく登場しました。
当時のおかずは、ご飯をたくさんいただくため、塩分がやや強めでしたが、魚でも野菜でもその季節にとれた新鮮な素材ばかり。煮物やおみそ汁のだしも、かつお節を削ったり煮干しからとるなど、質素ですが、自然の食材を無駄なく工夫して料理をつくっていましたね。
夕食は、家族全員が揃って食べるのが普通で、食卓は家族のコミュニケーションの場でもありました。そこで、その日にあったことを話し合ったり、子供は食べ方のしつけなども教わったりしたわけです。三世代が同居している家も多く、雑誌で料理のつくり方を紹介する際の材料も6人分が基本だったんですよ。
64年の東京オリンピック以降は、テレビや電気冷蔵庫が普及し、家庭の食卓にもさまざまな献立が登場するようになります。テレビの料理番組や料理学校がブームになって、私がいた出版社でも移動料理教室をよく開催しました。スパゲティやハンバーグ、シチューなど洋食の人気メニューを紹介すると喜ばれましたね。
当時、家庭でつくるスパゲティといえば“ナポリタン”でしたが、娘の友だちが家に遊びに来たときに“ミートソース”を出したら「お店の料理が家でできるの?」って驚かれた思い出があります。この頃から、高価だった牛肉や卵、バターなどにも手が届くようになり、洋風料理もレパートリーの中に加わって、彩り豊かな食卓になっていきました。
私は、60年代の料理について、64年の東京オリンピックまでを「舌で味わう時代」、65年以降を「目で味わう時代」と呼んでいるのですが、和食のよさに洋食の肉や卵の料理が適度にプラスされた後半の食卓は、栄養バランスもいちばんよかったと思います。和食では不足しがちな動物性たんぱく質や脂肪が適度にとれるようになり、またカルシウムの補給という意味で牛乳の果した役割も大きかったですね。
70年代に入ると、冷凍食品やインスタント食品の普及、ファーストフードやファミリーレストランの登場で、食の洋風化が急速に進みます。そして現代、動物性脂質の多い欧米型の食事は肥満や生活習慣病を招き、一方では、朝食を食べない子供たちの栄養不足が指摘されています。飽食の時代といいますが、実は本当に必要なものがとれない「体も心も栄養失調の時代」なんですね。
食事は生きていくための基本ですから、ここですべてをまっさらにして、食というものを一から見直すべき時期なのかもしれません。60年代が昨今ブームになっているのは、ただ懐かしいだけでなく、食生活も含め、そこに私たちが立ち戻るべき原点やお手本があるからではないでしょうか。私はそう信じます。
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和食に欠かせない醤油、味噌、酢は、大豆や穀類を主原料とした発酵調味料です。その独特の風味は、食材を発酵させる菌の働きによって生まれるわけですが、自然調味料として世界に誇れるものだと思います。
また、納豆やぬか漬けなども日本固有の優れた発酵食品。このような発酵を利用した調味料や食品には、腸内の善玉菌を増やして腸内環境を整える作用があるといわれます。美味しさだけでなく、毎日の健康維持に役立つ点も、伝統的な和食の隠れた底力といえるでしょう。



