いい米がとれるところには酒や醤油作りなど醸造業が盛んなところが多くありますが、ここ福山町も例外ではありません。
鹿児島県霧島市福山町は三方を山に囲まれ錦江湾に開けた港町。黒酢が生まれた当時、鹿児島と都城を結ぶ交通の要所であったため、商業港として各地から様々な物資が集まるところだったのです。そのため、町には黒酢の原料「米」も豊富にあったと考えられています。しかも桜島の火山灰が堆積した、シラス大地で濾過された良質の天然水があったこと、気候が温暖で醸造に適した土地であったことなどが幸いして、黒酢造りが盛んに行われるようになっていったのです。 黒酢はひとつの壺の中でじっくりと発酵、熟成が自然のままの状態で起こる、世界でもめずらしい製法で造られるお酢。まさにここ福山の地が生む自然の恵みといえる健康食材なのです。
桜島を背景に約5万以上という数の壺が整然と並ぶ"壺畑"は何度見ても壮観。
熟成過程はこちらから>>
通常の米麹より時間をかけて造った特殊な麹"老麹(ひねこうじ)"。この麹を液面に均一に振りかける作業は、熟練の技を要します。
"壺畑"に一歩足を踏み入れると、ほのかな黒酢の香りが鼻をやさしく刺激します。桜島と錦江湾を望む坂元醸造には、黒酢を熟成させるための壺が約5万個以上も整然と並んでいます。"壺畑"とはまさに言い得て妙。 坂元醸造の黒酢は、自然の素材、それも地元の素材だけで造られています。江戸時代から豊富にあった地の米と、天然の湧き水。これらの素材だけで芳醇な黒酢ができるというのです。特に水に至っては、島津藩政時代より"廻(めぐり)の水"として知られ、島津の殿様も愛飲していたという名水中の名水とよばれています。 黒酢は自然が造る。野天に並べられた薩摩焼をはじめとする陶器製の壺に、米麹と蒸した米、水を仕込みます。そして、老麹(ひねこうじ)と呼ばれる特殊な麹を、液面に均一になるように振りかけていきます。あとは、通気性のよい紙を被せて蓋をし、自然と発酵・熟成。添加物などは一切加えません。
長年使用されている壺には醸造に必要な酵母や酢酸菌が多く付着し、それが独特の熟成を促すのです。
坂元醸造で使用する壺は、江戸時代から受け継がれている薩摩焼の壺をはじめ、すべて陶器製です。そのため、発酵を進める微生物が入り込む余地があるので、ひとつの壺の中で、糖化、アルコール発酵、酢酸発酵の3種類が進行する世界でも珍しい製法で黒酢は造られています。 この発酵過程には、壺の中に棲みつく微生物と、福山町の自然の微生物が関係しているといわれていますが、それはまだ解明されていません。さらに、壺の大きさも重要なポイントで、基本的な大きさは、高さ約60cm×胴径約40cm。これ以上大きくても、また小さくても、黒酢はうまく育たないといいます。 福山町の微生物の存在と特有の壺こそが、この地でしか、造ることができない黒酢の所以です。
壺に耳をあて、ぶつぶつ、 じーじーと発酵の音を聴き、熟成までじっくりと一つ一つ育てていきます。
黒酢造りには自然と対話できる熟練の職人が欠かせません。なぜならば、壺それぞれに個性があり、その手当ての方法も異なってくるためです。仕込みの後、発酵を終えるまで、まるでわが子を育てるかのように付きっきりで黒酢の世話を行っています。目で確認したり、匂いを感じたり、耳をそばだてたり、五感と経験を活かしながら、ひとつひとつ手間をかけ、気の遠くなるような作業を1〜3年続けていきます。 こうして坂元醸造の黒酢は生まれるのです。
いい米がとれるところには酒や醤油作りなど醸造業が盛んなところが多くありますが、ここ福山町も例外ではありません。
鹿児島県霧島市福山町は三方を山に囲まれ錦江湾に開けた港町。黒酢が生まれた当時、鹿児島と都城を結ぶ交通の要所であったため、商業港として各地から様々な物資が集まるところだったのです。そのため、町には黒酢の原料「米」も豊富にあったと考えられています。しかも桜島の火山灰が堆積した、シラス大地で濾過された良質の天然水があったこと、気候が温暖で醸造に適した土地であったことなどが幸いして、黒酢造りが盛んに行われるようになっていったのです。
黒酢はひとつの壺の中でじっくりと発酵、熟成が自然のままの状態で起こる、世界でもめずらしい製法で造られるお酢。まさにここ福山の地が生む自然の恵みといえる健康食材なのです。
桜島を背景に約5万以上という数の壺が整然と並ぶ"壺畑"は何度見ても壮観。
熟成過程はこちらから>>
通常の米麹より時間をかけて造った特殊な麹"老麹(ひねこうじ)"。この麹を液面に均一に振りかける作業は、熟練の技を要します。
"壺畑"に一歩足を踏み入れると、ほのかな黒酢の香りが鼻をやさしく刺激します。桜島と錦江湾を望む坂元醸造には、黒酢を熟成させるための壺が約5万個以上も整然と並んでいます。"壺畑"とはまさに言い得て妙。
坂元醸造の黒酢は、自然の素材、それも地元の素材だけで造られています。江戸時代から豊富にあった地の米と、天然の湧き水。これらの素材だけで芳醇な黒酢ができるというのです。特に水に至っては、島津藩政時代より"廻(めぐり)の水"として知られ、島津の殿様も愛飲していたという名水中の名水とよばれています。
黒酢は自然が造る。野天に並べられた薩摩焼をはじめとする陶器製の壺に、米麹と蒸した米、水を仕込みます。そして、老麹(ひねこうじ)と呼ばれる特殊な麹を、液面に均一になるように振りかけていきます。あとは、通気性のよい紙を被せて蓋をし、自然と発酵・熟成。添加物などは一切加えません。
長年使用されている壺には醸造に必要な酵母や酢酸菌が多く付着し、それが独特の熟成を促すのです。
坂元醸造で使用する壺は、江戸時代から受け継がれている薩摩焼の壺をはじめ、すべて陶器製です。そのため、発酵を進める微生物が入り込む余地があるので、ひとつの壺の中で、糖化、アルコール発酵、酢酸発酵の3種類が進行する世界でも珍しい製法で黒酢は造られています。
この発酵過程には、壺の中に棲みつく微生物と、福山町の自然の微生物が関係しているといわれていますが、それはまだ解明されていません。さらに、壺の大きさも重要なポイントで、基本的な大きさは、高さ約60cm×胴径約40cm。これ以上大きくても、また小さくても、黒酢はうまく育たないといいます。
福山町の微生物の存在と特有の壺こそが、この地でしか、造ることができない黒酢の所以です。
壺に耳をあて、ぶつぶつ、
じーじーと発酵の音を聴き、熟成までじっくりと一つ一つ育てていきます。
黒酢造りには自然と対話できる熟練の職人が欠かせません。なぜならば、壺それぞれに個性があり、その手当ての方法も異なってくるためです。仕込みの後、発酵を終えるまで、まるでわが子を育てるかのように付きっきりで黒酢の世話を行っています。目で確認したり、匂いを感じたり、耳をそばだてたり、五感と経験を活かしながら、ひとつひとつ手間をかけ、気の遠くなるような作業を1〜3年続けていきます。
こうして坂元醸造の黒酢は生まれるのです。