徒然草絵巻 前編 「絵巻は手に持ち、プライベートに楽しむ芸術」
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「徒然草絵巻」序段の絵

今回から始まる新シリーズでは、知っているようで知らない「絵巻」の楽しさをとことんご紹介してまいります。
絵巻は美術館で、展示ケースに広げられているのを見ることがほとんどですよね。
でも本来は、言葉と絵が紡ぐ物語を手に取って楽しむものなんです。いったいどうやって?

絵巻の楽しみ方 1.紐をほどいて、絵巻を少しひらきます。 2.広げた部分を右手で巻き取ったら、体の右前に両手でずらしましょう。 3.左手で肩幅くらいに絵巻を広げたら、言葉と絵を堪能します。 4.さあ、次の場面へ。右手で巻き取って②の状態に戻します。

こうして、右から左へと順を追って鑑賞するんですね。マンガのページを先へ先へとめくっていくように、絵巻も手を動かしながら自分のペースで見ていくので、物語の世界に入り込む感覚が味わえるのです。

筆を片手に思いを巡らすこの人は…?

「徒然草絵巻」序段の絵

今回ご紹介するのは、江戸時代初期の絵師・海北友雪(かいほうゆうせつ)が描いた絵巻。まずは、その序段です。冒頭の画像にあるように、絵巻は通常、「詞書(ことばがき)」と呼ばれる文章と、絵が交互に並んでいます。詞書は次のように始まります。

【序段】つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。
【概略】あまりに退屈なので、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えてゆくたわいないことを、とりとめもなく書いてみることにした。くだらない内容ばかりだから、そんなことを思う自分は正気なのかと、だんだん変な気分になってくる。

聞き覚えのあるこの出だしといえば――古典文学の名作、『徒然草(つれづれぐさ)』ですね。その作者、兼好法師が、筆を持って頬杖をつき、考えにふける姿で描かれています。

兼好が生きたのは、鎌倉時代末から南北朝時代初めの動乱の世でした。若いころは貴族社会に身を置き、その後出家して俗世間から離れた。そして、歌人や能書家としても知られ、鎌倉を訪ねて関東の武家社会に触れたこともあった、と通説ではいわれています。出家者であり歌人であることは、世の中のあらゆる場所に出入りするパスポートを持っているようなもの。さまざまな人の言葉に耳を傾け、見識を深めることができたのです。さらに、読書好きだった兼好は、書物を通して知識を広げました。

『徒然草』をいったい何歳ごろ、どのくらいの期間をかけて書いたのかはわかっていません。しかしどうも一気に書き上げたのではないようです。というのも、段を追うごとに兼好の考えが深まっているのです。時折ふと思ったことを書きつけながら、ありふれた日常を生き、さまざまな出来事を通してさらに思案を深めていったのでしょう。

それでは、兼好のユーモアと深い思索がにじむ、『徒然草』の内容を少しご紹介しましょう。

鋭い着眼点にドキッ!

「徒然草絵巻」第164段の絵
【第164段】世の人、相会(あひあ)ふ時、しばらくも黙止(もだ)することなし。必ず、言葉あり。そのことを聞くに、多くは無益(むやく)の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失(しつ)多く、得少し。
これを語る時、互ひの心に、無益のことなりといふことを、知らず。
【概略】真面目な顔して話す二人。しかし兼好はこう言う。人は顔を合わせると、わずかな時間も黙っていることがない。きっと何かを話す。しかしほとんどの話は無駄な話である。その上、無駄な話だという認識もない、と…。

「無駄な話ばかり」なんて、私たち現代人にも耳が痛いところ。さすが兼好さん、鋭いご意見です。絵師・海北友雪は、兼好が伝えようとした真意を鑑賞者によりわかりやすく届けようと工夫を凝らしました。この絵では、まじめな顔で話し込む二人の横に茫漠とした空間が広がり、会話の空虚さをものがたっているようです。

兼好が贈る〈生きるヒント〉

「徒然草絵巻」第59段の絵
【第59段】大事を思ひ立たん人は、さりがたく、心に懸からんことの本意(ほい)を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。このこと果てて」[中略]など思はんには、え避(さ)らぬことのみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。[中略]このあらましにてぞ、一期(いちご)は過ぐめる。[以下略]
【概略】本当に大事なことは後回しにせず、思い立ったら即実行するべきである。「これが終わってから」と思っていると、避けられない用事が増えるばかりで、大事なことは一生成し遂げられない。火事で逃げる人は、「もう少し待ってみよう」なんて言わない。命は、人の願いがかなうのを待ってはくれないのだから。

絵には火事の場面。なるほど、こんな非常事態には、誰でも考え込まずにすぐに行動しますよね。日常でも、思い立ったら即実行せよ、ということです。なんだか身につまされる方も多いのでは? これぞ兼好らしい人生哲学です。兼好は、限りある人生という現実を受け止め、その限られた中で今をどう生きるか、いかに楽しむかを探求した現実主義の人でした。『徒然草』は「無常観の文学」と評され、世のはかなさを嘆くようなイメージが世間にあるようですが、本質はちょっと違うのですね。

兼好の「今を生きる」という考えが表れている段をもうひとつご紹介しましょう。

この一瞬を大切に

「徒然草絵巻」第92段の絵
【第92段】ある人、弓射ることを習ふに、諸矢(もろや)を手挟(たばさ)みて的に向かふ。師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢に、なほざりの心あり。毎度、ただ得失なく、この一矢に定むべし、と思へ」と言ふ。[中略]何ぞ、ただいまの一念において、直ちにすることの、はなはだ難(かた)き。
【概略】弓の初心者は二本の矢を持ってはいけない。二本の矢を持てば、もう一本あると油断して初めの矢をおろそかにする。仏道に励む人でも、夕方には明日があると安心し、朝になれば夕方があると思い、あとで一生懸命修行すればよいと先延ばしにしてしまう。今この一瞬を全力で生きることはとても難しい。

いかがでしたか?
「徒然草絵巻」後編でも、さまざまなエピソードをご紹介します。ぜひ続けてご覧ください。

前編と後編の区切り線
長いときを経て、ようやく評価された『徒然草』
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【第15段】 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目覚(めさ)むる心地すれ。[以下略] 【概略】旅に出ると気分がリフレッシュする。
行き先や距離は関係ない。

前編に続き、「徒然草絵巻」をご紹介してまいります。

兼好法師が『徒然草』の原文を書いたのは、今から700年近くも前のこと。兼好は生前、歌人・二条為世(ためよ)に師事する「和歌四天王」の一人として活躍しました。しかし当時、『徒然草』はほとんど日の目を見なかったのです。意外ですよね!

『徒然草』の魅力を理解し、世に広めた人物が登場したのは、執筆からなんと100年も経った室町時代のことでした。その人物とは、歌人の正徹(しょうてつ)です。『正徹物語』という歌論書のなかで、『徒然草』の素晴らしさや兼好のことを紹介したのです。これを機に『徒然草』は、歌人や連歌師、さらには文人貴族の間に広まっていきました。

よりみち小話
兼好って何者?

このように、『徒然草』は長い間世に知られていなかったので、
今ではこれほど有名な作者、兼好についてもわかっていないことが多いんです。

兼好法師のフルネームを「吉田兼好」と習ったかたも多いのでは? でもじつは近年の定説では、兼好の死後、一族の子孫が京都の吉田神社の神官をしていたことから「吉田」姓を名乗り、兼好までも吉田さんと呼ばれるようになったといわれています。兼好の姓は「卜部(うらべ)」だともいわれてきましたが、それすらも定かではありません。ちなみに生没年も不明です。

読み継がれてきた古典

室町時代以降、『徒然草』は、各時代最高の知識人たちに読み継がれました。江戸時代になると、印刷技術の発達によって、『徒然草』本文はもちろんのこと、内容の理解を助ける注釈書も出版されるようになります。幕府の学問奨励も手伝って、庶民からの人気を集め、わかりやすく面白い古典として親しまれるようになりました。

時代を超える名作『徒然草』。内容がバラエティーに富んでいるため、いつの世にあっても時代精神と響き合うメッセージがあったのでしょう。現代の私たちが読んでも、身につまされたり、なるほどとうなずかされるようなお話がたくさんあります。 そのなかから、日常生活の教訓を説く段をふたつご紹介しましょう。

聞かぬは一生の恥!?

「徒然草絵巻」第52段 絵
【第52段】仁和寺にある法師、年寄るまで石清水(いわしみず)を拝まざりければ、心憂(う)く覚えて、ある時、思ひ立ちて、ただ一人、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て、帰りにけり。[中略]少しのことにも、先達(せんだち)は、あらまほしきことなり。【概略】石清水八幡宮に参詣したことがない仁和寺の老僧が、あるとき思い立って一人歩いて出かけた。ところが、山の麓にある末寺・末社を本宮だと勘違いして拝み、「みんなが山へ登って行ったのはなぜだろう。気にはなったが、今回は本宮参拝が目的だったのでね」と帰ってきて語った。ちょっとしたことでも案内人は必要である。

おや、こんなところに法師の姿。石清水八幡宮が鎮座する男山(おとこやま)は、都を守る裏鬼門(南西の方角)の霊地として有名でした。そんなことも知らずに…というトホホなお話なんですね。似たような失敗談、みなさんもお持ちではないでしょうか。兼好は「ちょっとしたことでも案内人は必要」と結んでいます。

なんのためのお金…?

「徒然草絵巻」第217段 絵

この段では、お金との付き合い方を説いています。「貯蓄は願いをかなえるためにするものである。お金があっても使わないのならば、貧乏人と同じである。お金を貯めるために願望を捨てる必要があるならば、はじめから財など無い方がよい」という内容。絵を見ると、質素な家のなかに、財産を貯め込み、交遊も断つ男の姿が見え、塀の外での楽しげな人々とは対照的です。現代にも通じる教えですね。

ここまで、一部の段をご紹介してきた「徒然草絵巻」は、絵画化された『徒然草』のなかでも最高峰の作品といわれます。全20巻、248図という大ボリュームで、『徒然草』の全文を網羅している唯一の絵巻なのです。

みやびやかで美しい絵を手がけたのは、桃山時代を代表する絵師の一人・海北友松(かいほうゆうしょう)を父にもつ、海北友雪(かいほうゆうせつ)。父が亡くなったとき友雪はまだ18歳で、その後苦境の時期を経て、やがて3代将軍徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)に取り立てられ、幕府をはじめ、宮中の障壁画も手がけるなど大活躍しました。この絵巻には、その技量がいかんなく発揮されています。絵にしづらい哲学的な内容の段も含め、『徒然草』の全ての章段を絵画化した、まさしく大仕事でした。

最後にご紹介するのは、『徒然草』の最終段。さまざまに書き綴ってきたのちに、兼好の頭によぎったのは、遠い少年時代の思い出でした。

これが『徒然草』の締めくくり

「徒然草絵巻」第243段 絵

こうして父を質問攻めにしていた兼好少年。三つ子の魂百までとはまさにこのこと。
大人になっても心に浮かんでくる疑問を自問自答し、その思索の集大成が『徒然草』となったのですね。

さて次回は、かわいい猿がたくさん登場する、にぎやかな絵巻をご紹介します。お楽しみに!

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