ルネッサンス期のイタリア発!マヨリカ

近年、サントリー美術館に、現代の目利き2人のコレクションが加わりました。

今回ご紹介するのは、美術商・野依利之(のよりとしゆき)氏が収集した「マヨリカ」&「デルフトウェア」。ヨーロッパでは各国の美術館に特集コーナーがあり、市民権を得ています。

ファルネーゼ家紋章皿

「磁器」と「陶器」の違いをご存じですか? 土で作り、うわぐすりをかけて色や模様をつけるのが「陶器」。一方、「磁器」は白い石を粉状に砕いて作るので、素地が白くなめらかです。

かつて「磁器」は中国の名産地・景徳鎮(けいとくちん)などから世界中に輸出され、その白い美しさは、欧州で憧れの的でした。16-17世紀のイタリアでは、焼くと白くなる「錫釉(すずゆう)」を使った陶器「マヨリカ」が作られ、人気を集めました。白地の上に多彩な色を施した、地中海らしい明るさが魅力です。

この「ファルネーゼ家紋章皿」では、白い地の上に鮮やかな紺色を塗り、イタリアの枢機卿(すうききょう)、アレッサンドロ・ファルネーゼの紋章を描いています。写真では光の加減で見えにくいのですが、見込中心の金色の楕円形のなかに6輪のユリの花のかたちが磨き出されています。 英国ヴィクトリア&アルバート博物館など世界の有名博物館にも似た作品が所蔵されているんですよ。

マヨリカの技術が北へ デルフトウェアの誕生

マヨリカ焼の職人の一部はやがて、新たな市場を求めて北へ向かいました。到達地のひとつが、オランダ南西部、ハーグとロッテルダムとのほぼ中間にある、古都デルフトでした。画家フェルメールの故郷としても知られ、運河の流れる美しい街です。爆発事故で焼けた醸造工場の跡地を活用して工房が一気に増え、特に17世紀後半から18世紀前半、「デルフトウェア」の産地として栄えました。

「デルフトウェア」は、日本の磁器の影響も受けています。それはなぜ…?

17世紀、商業国オランダのオランダ連合東インド会社がアジアの産物をヨーロッパに輸出していました。なかでも王侯貴族を魅了したのが、中国・景徳鎮産の磁器、そして中国の内乱後に輸入されるようになった、日本の「伊万里」でした。東洋の磁器が欧州で大人気となり、あまりにも高価で希少という状況のなか注目されたのが、「デルフトウェア」でした。マヨリカの伝統を受け継ぐ「錫釉」を使った白い地に、中国磁器や伊万里などを真似た絵付けを施したのです。

左の皿、「色絵花卉文皿(いろえかきもんさら)」は、ふちを芙蓉の花びらのように区切った「芙蓉手(ふようで)」というデザインが元になっています。手本となった景徳鎮の芙蓉手では、牡丹の背景に柴の垣根と橋の欄干があったと思われますが、かなりアレンジが加えられたのでしょう。まるで抽象画みたいですね。

色絵花卉文皿
染付人物図ケンディ

「デルフトウェア」はさまざまな東洋のうつわのかたちを取り入れました。こちらの「染付人物図(そめつけじんぶつず)ケンディ」は、東南アジア由来のかたちで、長いくびの上から水などを入れ、高く掲げて口に注ぎ込むように飲みます。 胴の部分には東洋の風景と人物。人々が拝んでいるのは仏像かな…と思いきや、猿の姿のように見えますね!

時を超え愛されるデルフト

18世紀、欧州でも磁器の生産が始まりましたが、最盛期のデルフトは、今なお骨董ファン垂涎の的。現在もデルフトには王立工房があり、併設の美術館が旅行者を迎えてくれます。

次回は「コレクターの眼」展のもうひとつの柱、ガラスのコレクションをご紹介します! お楽しみに。

ページの先頭へ