クラシックトリビア

「驚きの記憶力はどこから?」のイメージ写真

あの神童から現代のマエストロまで 「驚きの記憶力はどこから?」

“オリジナル”であることが称賛される芸術の世界では、表現者たる芸術家に類似点を見いだすのは難しいかもしれません。しかし「天才」と呼ばれる音楽家たちに共通する能力があるとすれば、それは「記憶力」ではないでしょうか。著名な作曲家、ピアニスト、指揮者などの中には、ずば抜けた記憶力で周囲を驚かせるエピソードを持つ人々がいます。今回は、そうした逸話に事欠かない3人の偉大な音楽家をご紹介しましょう。

モーツァルトの音楽が素晴らしいのは・・・

「ウィーンの街とシュテファン寺院」のイメージ画像

観光客にも人気の街、ウィーン。中央奥の尖塔は、18世紀モーツァルトの婚礼と葬儀の両方が執り行われたシュテファン寺院。

驚異の記憶力を持つ音楽家の代表は、やはりモーツァルトでしょう。少年時代、一度聴いただけの曲を記憶を頼りに楽譜に書き起こした話は有名ですが、作曲するときは、すでに頭の中で完成された音楽を引き出して書いていたといわれています。そのためどんなに複雑な曲の楽譜にも、ほとんど書き直された跡がないそうです。

時代を超えて人々を魅了する素晴らしい音楽の数々を、まるで体から流れ出るように創作できたのはなぜなのでしょうか。幼いころ、父に連れられて旅から旅の生活をしていたモーツァルトは、訪問先でさまざまな流行の音楽を耳にしました。また、3歳で和音(ドミソなど)を理解した神童ですから、街のざわめきや鳥のさえずりにもハーモニーを見いだし、記憶にとどめたことでしょう。そうした、いわば膨大な“音の記憶のデータベース”を持っていたからこそ、表現したい音を的確に探し当て、私たちを感動させる音楽を生み出すことができたのかもしれませんね。

“負けず嫌い”が記憶力を開花させた?

「マルタ・アルゲリッチさん」の画像

現役のトップピアニストとして走り続けるマルタ・アルゲリッチさん。大の親日家でもあり、たびたび日本を訪れている。

次にご紹介するのは、アルゼンチン生まれの女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチさん。卓越した技巧と華麗な表現力、曲への深い理解に基づいた純度の高い演奏で、プロの音楽家にも多くのファンを持つ彼女ですが、どんなに難しく長い曲でも、「暗譜で困ったことはない」そう。異なるプログラムの演奏会が續き、前日になって初めて楽譜を目にする曲もあったのですが、一度目を通しただけですべての音符、リズム、速度記号などを記憶し、本番ではいつもと変わらぬ素晴らしい演奏をしたのだとか。もちろん、記憶した楽譜を正確に演奏する技術があってこそできる離れ業ですが。

また、友人がある小説の2ページほどを彼女に読み聞かせていたところ、電話が鳴って中断したことがありました。2週間後に再びその小説の話に触れると、アルゲリッチさんは、読み上げた箇所を一言一句間違えずに暗唱して友人を驚かせたそうです。

彼女がピアニストになったきっかけは、保育園で一緒だった男の子に「どうせピアノは弾けないよね!」とからかわれたこと。ピアノに触れたこともなかった小さなアルゲリッチさんは、とっさに子守歌の記憶を思い起こし、ピアノで弾いてみせたそうです。以来、片っ端から何でも記憶してしまうんだとか。

いちずに“好き”になることが、記憶の原動力

情熱的な指揮姿から“炎のマエストロ”と呼ばれ、80歳を迎えた今も現役でオーケストラを率いる世界的指揮者、小林研一郎さん。趣味の将棋では師匠の棋譜を暗記し、40代で夢中になったゴルフでは、仲間のスコアやプレーの詳細まで覚えてしまう記憶力の持ち主。なぜそんなに記憶力がよいのか、その能力をどのように音楽活動にいかしているのか、小林さんにお聞きました。

「小林研一郎さん」の画像

鬼気迫る指揮姿は作曲家の魂が降臨したかのよう。サントリーホールでの舞台は指揮者最多の417回を数える(2020年3月現在)。

「記憶力が伸びたのは、実は将棋のおかげなんです。学生時代に下宿先でブームになって、強い相手だと50手先まで読んだりする。それを続けていたら、大抵のことは覚えるのが苦でなくなりました」。そうした記憶力は、指揮の仕事でも役立っていますか? 「指揮の最中、一瞬でも楽譜に目を落とすと集中力が途切れてしまうことがあるので、コンチェルト(協奏曲)以外は必ず楽譜を暗譜してリハーサルに臨みます。演奏中もオーケストラの一人一人と常にアイコンタクトが取れる状態をキープすることは、僕を信頼してくれている楽団員の皆さんへの敬意でもあるのです」。そうして信頼関係が築かれるからこそ、極上のハーモニーが生まれるのでしょうね。

「小林研一郎さんと奥さま」の画像

小林さんのハードな活動を健康面からサポートする奥さまと。コンサート前には手作りのおにぎりとおみそ汁が欠かせないのだとか。

しかし、オーケストラすべての楽器・演奏箇所を覚えるのはさすがに大変なのでは・・・? 「まさに寝てもさめても勉強しなくては、シンフォニー(交響曲)などは覚えられません。日夜楽譜と向き合っているので、妻からは『(私は)受験生の母親のよう』と言われています(笑)」。

覚えるコツのようなものは、あるのでしょうか? 「無理やり覚えようと思っても、覚えられるものではありません。音楽も将棋もゴルフも、好きだから覚えられる。“好き”というエネルギーが、記憶する力になっているんじゃないかな」。

なにかと忙しい現代、好きなことに没頭する時間や、親しい人と楽しむ時間、取れていますか? 記憶力を高めるヒントは、意外と身近なところにあるものかもしれませんね。

【参考文献】
『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(音楽之友社)
『知ってるようで知らない モーツァルトおもしろ雑学事典』(ヤマハミュージックメディア)

「小林研一郎指揮、日本フィル、チェコ・フィル他演奏「コバケンのアンコール・ピース」」のCDジャケット写真
今月の1枚

「コバケン」の愛称で親しまれる日本を代表する指揮者、小林研一郎がコンサートのアンコールに用意したとっておきの小品が宝石のような輝きを放ちます。ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」をはじめとする名曲の数々は、オーケストラ入門にもぴったりです。
小林研一郎指揮、日本フィル、チェコ・フィル他演奏「コバケンのアンコール・ピース」

ウエルネスライフマガジン 2020年5月号掲載分

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