クラシックトリビア

「世界を変える音楽教育プログラム」のイメージ写真

すべての子どもに音楽を! 「世界を変える音楽教育プログラム」

貧困が生む不幸とは、パンがないことでも屋根がないことでもなく「人から必要とされないと感じること」なのだと、マザー・テレサは言いました。貧しさゆえに「自分には価値がない」と思い込み、社会から孤立し、犯罪や暴力に巻き込まれてしまう・・・そんな負の連鎖を“音楽の力”で断ち切るプログラムが、南米ベネズエラを起点に世界で広がっています。恵まれない環境の子どもたちが一流の音楽に触れることで自分の未来を変え、周囲の大人を変え、社会を変えていく。今回は、そんな奇跡のような音楽教育プログラムについてご紹介します。

何が子どもたちを変えるのか?

「グスターボ・ドゥダメル」の画像

今や世界中の楽団から指揮を熱望されるグスターボ・ドゥダメルも、幼いころからエル・システマで学び、現在も深く関わっている。

1975年にベネズエラで生まれた音楽教育プログラム「エル・システマ」は、子どもたちに合奏や合唱の機会を与え、自尊心やチームワークを育みます。オーケストラでは、楽器がひとつ欠けるだけでその美しいハーモニーが崩れてしまうため、子どもたちは演奏に加わったその日から、「自分はオーケストラにとって欠かせない存在である」ことを学びます。コーラス隊に参加する子どもたちも同様に、自分たちの声が必要とされていることを体で感じ取るのです。

この経験が強い自己肯定感となり、やがて生きる力や自信につながります。かつての非行少年・少女や、未来を夢見ることを諦めていた元ストリートチルドレンの多くが、エル・システマを通じてコミュニティの立派な一員となっているのです。

エル・システマを成功に導いた原動力は・・・

「ホセ・アントニオ・アブレウ博士」の画像

エル・システマをベネズエラの国家プロジェクトにまで育て上げた、音楽家であり政治家、経済学者でもあったホセ・アントニオ・アブレウ博士(1939~2018年)。

ベネズエラでエル・システマに通う子どもは他の子どもに比べ学校の成績がよく、問題行動が少ないという報告があります。恵まれない環境にある子どもたちが、いきいきと音楽(それも一流の!)を奏でる様子はメディアで取り上げられ、世界中の政府高官や教育者たちの心を動かしました。今では70以上の国や地域が、エル・システマを導入しています。

音楽によって子どもたちの心に芽生える希望、それを見守る多くの無償の指導者たち、そして「互いに教え合う」というカルチャーが、エル・システマを大きな成功に導いています。そして、そのすべての原動力となっているのが、エル・システマの生みの親アブレウ博士(左写真)の存在です。

音楽を楽しむことは、社会を変革すること

「エル・システマは、アブレウ博士の呼び掛けでガレージに集まった11人の音楽家から始まりました」。そう話してくださったのは、父親が11人のメンバーの1人だったというコロンえりかさん(下写真)。幼少時からアブレウ博士のそばで、そのエネルギーと行動力、揺るぎない信念を見て育ちました。

「コロンえりかさん」の画像

世界中のエル・システマをつなぐ「エル・システマ コネクト」で音楽を通した社会アクションを呼び掛けているコロンえりかさん。

芸術は特権階級やエリートの娯楽ではなく、「個人と社会を成長させる重要な手段だ」と信じていたアブレウ博士は、特に困難を抱える低所得層の子どもたちや若者支援のための音楽活動に取り組みました。そしてアブレウ博士はコロンさんに、“音楽は社会の偏見を取り除く”ということも教えてくれました。富める人、貧しい人、障害のある人もない人も、誰にも等しく音楽は語り掛け、垣根を取り払ってくれるのだと。

「障害を持つ友だちが1人いれば、世界中の障害を持つ人々を身近に感じることができます。でも、最初の1人と友だちになることが今の社会では難しいのです。音楽は、その壁を壊してくれます」。ご自身も音楽家であるコロンさんは、いま日本で聴覚などに障害を持っている子どもたちに合唱を教えています。“ホワイトハンドコーラス”と呼ばれるその取り組みもエル・システマの活動の一部です。

「“ホワイトハンド”コーラス」の画像

障害の有無に関わらず音楽を楽しむ「ホワイトハンドコーラスNIPPON」。発声の難しい子どもは白い手袋をして歌を表現することから“ホワイトハンド”コーラスと呼ばれています。

「ホワイトハンドコーラスが生まれたベネズエラの町バルキシメトは、日本のようなバリアフリー設備は整っていませんが、車いすの人が困るようなことはありません。どこに階段があってもすぐに通行人が駆け寄ってきて手を貸します。ベネズエラの多くの人々の生活は苦しく、コロナ禍によって状況はさらに悪化していますが、それでも他人を思いやる“心のバリアフリー”を持っています。それはきっと、アブレウ博士が残した『一緒に音楽を楽しみ、困難を乗り越えよう』という思想が浸透しているからなのだと思います」。

困難な状況にあっても、音楽によって心の豊かさを持ち続けようとする美しい取り組み、エル・システマ。その思想の下で結成され、音楽を奏でることの喜びに満ちたオーケストラの響きを、ぜひお楽しみください(下記「今月の1枚」参照)。

【参考文献】
『世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ:エル・システマの奇跡』(東洋経済新報社)
『プロミス・オブ・ミュージック』[DVD](ユニバーサル ミュージック クラシック)

「「エル・システマ 40周年記念アルバム」」のCDジャケット写真
今月の1枚

1975年にベネズエラで始まった、オーケストラ活動と合唱をツールとする青少年育成のための音楽教育プログラム“エル・システマ”。その教えを学んだ指揮者ドゥダメルとその仲間たちによるエル・システマ40周年記念アルバムには、人間の大いなる可能性が刻まれているようです。
グスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル交響楽団他演奏
「エル・システマ 40周年記念アルバム」

ウエルネスライフマガジン 2021年5月号掲載分

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