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武満 徹

没後20年“世界のタケミツ”の軌跡 「武満 徹」

武満徹(たけみつ・とおる)をご存じですか?世界中の演奏者が彼の曲をプログラムに取り入れたがるといわれる20世紀を代表する日本の作曲家で、2016年はちょうど没後20年にあたります。そこで今回は、武満徹の知られざる過去と、彼を“世界のタケミツ”にした名曲「ノヴェンバー・ステップス」についてご紹介したいと思います。

音楽への目覚めと独創的な勉強方法

街でピアノの音を耳にすると、飛び込みでピアノを弾かせてもらっていたという。

街でピアノの音を耳にすると、飛び込みでピアノを弾かせてもらっていたという。

終戦後、進駐軍のラジオ放送で近代フランスのクラシック音楽に目覚め、横浜の米軍基地でジャズに心酔した武満徹(1930~1996年)は、音楽家を志します。19歳で東京音楽学校(現在の東京藝術大学)を受験しますが、控室で知り合った青年と「作曲するのに教育なんて関係ない!」と意気投合し、受験を放棄。このため武満は、作曲家に師事しながらも主には独学で音楽を模索していきます。

当時はピアノを買うお金もなく、通りかかった家からピアノの音が聞こえると、「ピアノを弾かせてください」と頼んでいたのだとか。

デビュー、転機、そして世界へ

若い頃から無類の映画好きでも知られる武満は、多くの映画音楽を作曲した。。

若い頃から無類の映画好きでも知られる武満は、多くの映画音楽を作曲した。

受験放棄の翌年、作曲家デビュー。しかし処女作は酷評されます。やがて日活映画『狂った果実』や劇団四季『野生の女』の音楽、CM音楽も手がけるようになります。

転機となったのは、1957年発表の「弦楽のためのレクイエム」。日本では話題にも上りませんでしたが、2年後に来日したロシアの作曲家ストラヴィンスキーがたまたま耳にし、絶賛したことから再評価されます。その後1964年作曲の「テクスチュアズ」は日本人作曲家として初めてユネスコ国際作曲家会議でグランプリを受賞。

同じ頃、琵琶と尺八という伝統的な邦楽では珍しい楽器の組み合わせで「エクリプス」を作曲。当時アメリカで活躍していた小澤征爾の耳に留まり、ニューヨーク・フィル音楽監督のレナード・バーンスタインへ紹介されます。これが武満を「世界」へと導いていったのでした。

武満を“世界のタケミツ”にした「ノヴェンバー・ステップス」

その後、バーンスタインからニューヨーク・フィル125周年を祝う作曲依頼を受け、琵琶と尺八、オーケストラで構成された「ノヴェンバー・ステップス」が完成。初演が11月(ノヴェンバー)だったことと、曲が11の段(ステップ。楽章のまとまりを表す単位)に分かれていたことから名づけられました。

楽譜は音符とともに音量や演奏法などが細かく指示された記号で埋め尽くされ、オーケストラは弦楽器と打楽器、ハープが舞台上で左右対称に振り分けられるという一風変わった配置。日本人の摩訶不思議な試みに当初は気のりしない楽団員でしたが、琵琶と尺八のソロ部分がはじまるとだんだんと曲にのめり込んでいき、演奏後には拍手喝采が巻き起こりました。琵琶と尺八の異質な調べが西洋のオーケストラと見事な対比を見せ、対極的な楽器配置も功を奏し、まったく新しい音楽の世界が開けた瞬間でした。

「ノヴェンバー・ステップス」の楽器配置

尺八に横山勝也、琵琶に鶴田錦史という二人の天才奏者を迎え、小澤征爾が指揮を務めた初演は大成功。武満徹は“世界のタケミツ”としてその名を後世に残すことになりました。

時を経てなお、世界中の人々を魅了し続けている武満の音楽。そこには、楽器やジャンルにとらわれない芸術の本質が潜んでいるといえるでしょう。

小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ他:「武満徹作品集」
今月の1枚

日本を代表する作曲家、武満徹の主要作品8曲を、生前より付き合いが深く、最大の理解者の1人であった小澤征爾の指揮を中心にした豪華メンバーの演奏で楽しむ極めつきの1枚。出世作となった「ノヴェンバー・ステップス」には、ニューヨークでの初演に出演した横山勝也(尺八)と鶴田錦史(琵琶)が参加。武満の魅力を余すところなく披露します。
小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ他:「武満徹作品集」

ウエルネスライフマガジン 2016年12月号掲載分

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