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「ウィンナ・ワルツ」のイメージ写真

ニューイヤー・コンサートの風物詩 「ウィンナ・ワルツ」

新年のクラシックコンサートといえば、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤー・コンサートではないでしょうか。指揮者は誰が務めるのか、どんなプログラムになるのかなど、毎年関心が寄せられ、「もっともチケットの取りにくいコンサート」と言われるほどです。今回は、ニューイヤー・コンサートに欠かせない「ウィンナ・ワルツ」誕生の歴史と、それを取り巻く音楽家たちの物語を見てみましょう。

激しく、そして優雅に。ウィンナ・ワルツ狂騒曲

「ウィンナ・ワルツ」のイメージ写真

ヨーロッパで正式に社交界デビューを果たすには、現在でもウィンナ・ワルツを踊れることが前提となっているそう。

出典:野村三郎『ウィーン三昧 ウィーンを聴く観る歩く』(ハンナ ※旧ショパン)

ヨーロッパの農村で娯楽として親しまれていた素朴なダンスが、出稼ぎ者たちにより大都市ウィーンに伝わり進化したのが、"ウィンナ(ウィーン風の)"・ワルツの始まりだと言われています。男女が抱き合うように組み、3拍子でテンポよく"転げ回る"ように踊るダンスは、庶民の間で大流行。政府の圧政が続いていた18世紀後半、人々はそのうっ憤を晴らすかのように激しいダンスに夢中になりました。当初庶民の熱狂ぶりを警戒した政府も、踊りに関心を向ければ革命や暴動の企てを遠ざけられると見てワルツを公認。ダンスホールを兼ねたカフェや居酒屋が次々と開店しました。

ワルツは王侯貴族にも浸透しましたが、貴族たるもの"転げ回る"ようなダンスなどはご法度。やがて優雅な旋回とステップを兼ね備えた、上品な踊りへと形を変えていきました。

覇権争いがワルツを進化させた?

ヨハン・シュトラウス2世のイラスト画像

18歳でデビューしたヨハン・シュトラウス2世は、後に「ワルツ王」と呼ばれるまでになった。

ウィーン中に巻き起こったワルツブーム。その機運をいち早くつかみ、放浪の楽士から宮廷舞踏会の音楽監督にまで上り詰めたのが、ヨハン・シュトラウス1世(1804~1849年)でした。

流しのバイオリン弾きをしていたところを、当時ワルツをはじめダンス音楽の作曲などで名を馳せていたヨーゼフ・ランナーに認められ、彼の下で才能を発揮。音楽に加え、巧みな弓さばきで人々を魅了したシュトラウス1世(以下、父ヨハン)は、やがてランナーと対立、二人は競ってワルツ曲を作りました。この「ワルツ合戦」が後に高度で美しいワルツを生む土壌を作ったのですが、この土壌でワルツを大きく進化させたのが、息子のヨハン・シュトラウス2世(1825~1899年。以下、息子ヨハン)でした。

父ヨハンは、息子ヨハンが音楽家になることには反対でした。しかし母親(父ヨハンの妻)の援護のもと、息子ヨハンは教会のオルガン奏者に師事し、正統派の音楽や楽典の基礎などを徹底的に習得。息子には浮き草家業だった音楽家の苦労を背負わせたくなかったのか、あるいは若きライバルの出現を苦々しく思ったのか、父ヨハンはあらゆる手段で息子のデビューを妨害します。今度は親子間でし烈な作曲競争が繰り広げられ、皮肉にもこうした覇権争いでワルツは一層の発展を遂げたのでした。

伝統と革新を踏まえ、ウィンナ・ワルツ完成へ

ドナウ川の写真

第二のオーストリア国歌とも呼ばれる「美しく青きドナウ」をはじめ、ヨハン・シュトラウス2世が残したワルツは170曲にのぼる。

偉大な父の陰で2番手に甘んじていた息子ヨハンも、父ヨハンがしょう紅熱であっけなく急死すると、その地盤を引き継ぎ、真の独立を果たします。革命と内紛を経て近代化への道を歩み始めた当時のウィーンで、前衛音楽家として活躍していたリストやワーグナーからも影響を受けた息子ヨハンは、父から受け継いだウィンナ・ワルツの伝統に革新を加え、新しい時代を予感させる音楽をもたらし、父に劣らない人気と地位を獲得していきました。そして今やヨハン・シュトラウス2世は、ウィンナ・ワルツの代名詞となっています。

第二次世界大戦が始まった1939年の大晦日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はヨハン・シュトラウス親子の作品を集めて演奏しました。演奏会は戦火をくぐり抜け、今日のニューイヤー・コンサートに引き継がれています。美しく親しみやすいメロディ、芸術性と娯楽性を兼ね備えたウィンナ・ワルツは、過酷な時代も人々の心を明るく照らし出し、それゆえに時代を超えて求め続けられるのでしょう。

みなさんも、年末年始は心まで躍らせてくれるウィンナ・ワルツを聴いて、華やいだ気分で過ごしてみませんか。

【参考文献】
『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』(中公新書)
『音楽大事典3巻』『音楽大事典5巻』(平凡社)
『ウィーン三昧 ウィーンを聴く観る歩く』(ハンナ ※旧ショパン)

小澤征爾指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団:「ニューイヤー・コンサート2002」のCDジャケット
今月の1枚

毎年世界中のクラシックファンが注目するウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート。2002年は日本人指揮者の小澤征爾がアジア人として初登場し、大きな話題を呼びました。その模様は世界中に放映され、このライブ録音も大ヒットを記録しました。
小澤征爾指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団:「ニューイヤー・コンサート2002」

ウエルネスライフマガジン 2017年12月号掲載分

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